今日は締切りの迫るNegotiationのCaseをクラスメートと電話越しにやって、色々と反省すべきコトが出て来た。B.A.T.N.Aを見抜いたもののをそれをうまいこと活用できなかったことが大きいなー。
なにより、クラスメートとのやりとりと言うこともあり、きっと嘘ついているんだろうなぁと思いつつもあまり疑わずに進めてしまっているのは本当はよくないのかも。詰める詰めない、になると真剣な場以外ではのらりくらりとしたいところがある。嫌われたくないんだよな-、やっぱり。
Yaleのアセスメントでも、その他のアセスメントでも、僕に共通して出てくる特徴というのは
- アイデアマン、クリエイティブ
- 感情に非常に敏い、人の考えていることに気づく
- 人におもねる、嫌われることを避ける、衝突を避ける
といったところ。この三点目、人におもねる、嫌われることを避けるというのは本当に困ったもので、自分がとがること、クリエティブになることと相反するときがおおい。いかんなー。
都合が良いことにアメリカにいて、嫌われてもいいやと開き直れるようになりつつある。それに、家族の重要性がより明確化したことで、他の人に嫌われることの重要性が低下したこともある。
それにしても。
やっぱり恐いなー。
解決策は、嫌われるということの価値を低めることと、嫌われることへの耐性をつけること。前者については、嫌われる意味づけをするとか、スパンを長期化するとか。後者はまずは人に嫌われてみることなのかなー。
南場さんの著書の中にあることば、「コトに向かう」ためにはここはどうしても乗り越えなくちゃいけない。がんばろー。
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