2015年3月14日土曜日

光陰矢の如し、もう最終日だ!

早いものでもう最終日が終わってしまった。残るプログラムはディナーだけ。


二日目は午前中にコミュニティとその活性化に関するパネルディスカッション。午後はスモールグループに分かれてコミュニティーワークという流れ。複数の行き先があって、事前に運営サイドがアサインしている。自分はホテル近くの教会にに行き、ホームレスの人達を支援しているNPO、Heads Upの活動を補助。掃除や炊き出し準備、ワークショップへの参加のいずれかが課せられた。自分は、ホームレスの人たちがどういう境遇にあるのか、過去と現在、未来について関心があったのでとのワークショップに。

ワークショップはソーシャルワーカをファシリテーターとして、10人程のホームレスの人達が現況やいまの感情について、ラウンドテーブルでひとりずつ共有していく。重苦しい雰囲気の中、政府への不満や現状への想いが絞り出されるように語れていく様に、大変緊張した。それでも一人ひとりが現状を打開したい、打開しなくてはならないという気持ちを持っていることがひしひしと伝わってくる。その後、ペアになって配布されて質問シートを使ってお互いに話し合いに。

Barbaraという50~60歳ほどの女性をインタビューする形で、ホームレスになった経緯や期間、また、どういうことが辛かったりどういうことを糧にして生きていたりするかについて率直に質問。彼女の場合、夫との離婚が原因。詳細は避けるが、時期や場所が影響して働くのが困難な状況にあることがわかった。また、「I have never lost my integrity.」と頻繁に言葉を口にしていたのが印象的だった。話からは、他者の力を借りつつ、可能な範囲で努力をしてきたことがうかがい知れた。

ワークショップの終了間際、運営している方に動機について質問したところ、宗教的な観点からの回答を得て、日本との文化的な違いを大きく感じた次第。

ワークショップ後は、フルブライトがアレンジしたSmall Dinnerに参加し、その後バー、クラブへ。愚かにも,パスポートを携帯していなかったためクラブには入れず、寂しくアフガニスタンの友人とホテルへ。

道すがら、彼にアフガニスタンの状況について話を聞き、複雑な事情が存在することを改めて認識。現状にいたる歴史的な背景はどこでも調べれば出てくるから省くとして、彼の心情とか、生活がとてもリアル。

実際には彼はアフガニスタンには生活しておらず、両親と一緒にパシュトゥー語が話されているパキスタンの一部地域に非難したとのこと。年に一度、元々住んでいた村に帰ると言う。村に戻るのは、やはり危険を伴うようで、それでも、故郷ということから戻るらしい(原因や程度は異なるが、福島の非難地区のことがたまに思い浮かんだ)。アメリカとロシアそれぞれへの感情を聞いたものの、明確には回答は得られず、かわりに、いまの状況をどうするのか、ということへの関心が高いという反応を得た。すごいなぁ、と。

あくびによる涙なのか悲しみによる涙なのかわからないが、エレベーターで涙を拭っている様子を見て、彼が安全に国に戻り生活できるような時期が来たら良いなと強く感じた。

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